日曜論壇/競争だけでうまくいくか

これは当時,栃木県弁護士会の副会長という職務にあったために執筆・掲載されたものであり,私個人に執筆依頼がきた訳ではありません。またこのような執筆を依頼されたり,新聞に掲載されたということをアピールしたりするために掲載するものでもありません。あくまで私が,どういう価値観を持ち,どのような姿勢で弁護士業務に取り組んでいるかについて,ご理解をいただくために掲載するものです。
(掲載当時のままで、加筆・訂正はしておりません。)

 

2010年10月17日(日) 朝刊 総合1版004頁 全域
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日曜論壇/富岡規雄(とみおかのりお)/競争だけでうまくいくか

今、社会のかなりの部分に競争主義が広がっているように見える。「競争のないところに発展、あるいは質の向上はない」という考え方からすれば、それはよいことなのであろう。実際、大きな歴史の流れの中では、競争によって発展が促されたという側面があることも否定はできない。

 

現代においても、身近なところでは、家電などの工業製品は年々改良されており、その善しあしはあるにしても、競争による質の向上というものはありそうである。しかしよく考えてほしい。このような分かりやすい例は実は少ないのではないか。

 

例えば、医療について考えてみよう。競争によって医療の質が向上するのであろうか。逆に言えば、競争がなければ、質の向上がないのであろうか。答えは否であろう。医療の質の向上は、競争といういわば「外圧」ではなく、患者を救いたいという医療関係者の志によるものであると思う。外圧がなければ質が向上しないというのはあまりにも失礼ではあるまいか。

 

また教育についてみると、競争を持ち込むと子どもがよりよく育つのであろうか。競争となると、子どもの出来不出来を比較して区別するということになる。しかし、そもそも、そのようなことが可能なのか。テストの出来不出来というのもあるにはあるが、それはその子のその時のある一面だけにすぎない。それをあたかも、その子の持つ価値であるかのように扱って区別することは誤りであろう。

 

教育とは、自発的に学べる人間を育てることであると思うが、それは競争という外圧でできることではないであろう。それだけではない。競争とは、勝者と敗者を生む。敗れた者は切り捨てられることになるが、敗れた子はどうするのか。教育において、そのような乱暴なことをしてよいのか。

 

先ほど例に挙げた工業製品とて、競争によって必ずしもよくなるとは限らない。工業製品とは少し違うが、競争によって質が向上するというのなら、なぜ欠陥住宅はいつまでもなくならないのか。

 

誤解しないでほしいが、私は何も競争を否定したい訳でも、悪だと決めつけたい訳ではない。ただ競争が善であり、競争をさせればすべてうまくいくかのようかのような考え方は間違っていると言いたいのである。

 

社会において競争が発生するのは避けられないことであり、現実に競争がなくなるという事態は考えられない。しかし、いわゆる新自由主義の下、競争をさせればすべてうまくいくかのように競争主義や成果主義が広がり過ぎたように思う。それだけでなく、競争を阻害するものは悪であるかのような決め付けがなされているようにも思われる。

 

しかし、そのような、競争がなければ人は怠けると言わんばかりの考え方は誤りであると思う。人を信用しないのにも程がある。社会の発展や質の向上は、「もっとよくしたい、なりたい」という、その人の志によるところが大きく、それは競争とは関係がないのではないか。もっと人を信用しよう。今、それだけは指摘しておきたい。
(県弁護士会副会長)