日曜論壇/「既得権」は不当なのか

これは当時,栃木県弁護士会の副会長という職務にあったために執筆・掲載されたものであり,私個人に執筆依頼がきた訳ではありません。またこのような執筆を依頼されたり,新聞に掲載されたということをアピールしたりするために掲載するものでもありません。あくまで私が,どういう価値観を持ち,どのような姿勢で弁護士業務に取り組んでいるかについて,ご理解をいただくために掲載するものです。
(掲載当時のままで、加筆・訂正はしておりません。)

 

2010年12月26日(日) 朝刊 総合1版004頁 全域
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日曜論壇/富岡規雄(とみおかのりお)/「既得権」は不当なのか

「既得権」という言葉が使われている。その使われ方をみると、不当に利益を得ているという非難が込められているように思う。そういうものが世の中に存在することは否定できないが、最近はみだりに使われていないだろうか。

 

例えば、正社員の給料や雇用が守られていることについて、既得権だとする論者がいる。そういう論者は、正社員の地位そのものが不当だとでも言いたいのだろうか。正規に雇ってもらい、きちんと仕事をし、給料をもらう。会社の一方的な都合では解雇されない。これのどこが不当だというのか。

 

確かに、パートや派遣といった非正規雇用と比べれば、正社員は「守られている」とは言える。しかし、それは非正規雇用の待遇や生活が苦しいほど低いことが問題なのであって、正社員が不当に優遇されているというわけでは決してない。正社員について既得権というのは、不当に低いものと比較して、普通のものをおとしめるというやり方である。はっきり言うが、それは卑劣なやり方である。

 

既得権という言葉は、最初から相手を悪だと決め付け、非難するものとして使われている。それが悪かどうかの判断は、根拠を示し、きちんと議論をして行うべきであり、既得権などという言葉によって決め付けるべきではない。

 

既得権という言葉は、本当は根拠がない、きちんとした議論ができない場合に、それをごまかす手段として、使われているのではないか。

 

これと似たような使われ方をしているのが、「国民」や「国民の理解」という言葉ではないだろうか。例えば、小沢氏の政治資金について、同氏が説明をしないのは、「国民の理解」を得られないなどの言い方がされている。しかし、いったい、いつ、誰が国民の意見を聞いたというのか。そもそもそこで言われる「国民」とは誰か。

 

私も間違いなく「国民」の一人であるが、意見を聞かれたことはないし、もし聞かれれば、「そんなことよりも、もっと重要な問題に取り組んでほしい」と答えるであろう。わが国に限らず、経済は危機的状況にあり、政治には緊急に取り組むべき課題がある。それだけでなく雇用、少子高齢化や年金の問題など問題は山積みである。政治資金などの過去の話よりも、それらの将来の話にこそ取り組んでもらいたい。こう思う人は私だけではないだろう。

 

結局、「国民」とか「国民の理解」という言葉も、結論ありきであり、それを使う人間が都合よく使っているにすぎないのだ。本来は、根拠を示してきちんと議論をして行うべきものを、「国民の理解を得られない」の一言で済ませてしまう。それは「既得権」の使い方と同様に、根拠がない、きちんとした議論ができないということをごまかそうというのであろう。

 

最近、こういう言葉の使われ方が多くなってきたように思う。そういうものを目にしたら、そこにうさんくささを感じ取った方がよいと思う。そうでないとだまされてしまう。また逆に、そういう言葉の使い方や論の進め方をしないよう気をつけたいものである。
(県弁護士会副会長)