東京マラソン参加申し込み

今日,2015東京マラソンの参加申し込みをしました。

 

倍率は10倍以上なのでまず当選しません。

 

また万が一当選したとしても記録を狙って走れる状況にはありません。2015年2月8日は「いわきサンシャインマラソン」だからです。2週間で記録更新はさすがに無理でしょう。

 

私は記録狙いのランナーなので,東京マラソンはあまり興味がないと言えばないのですが,東京の街を走れるのはこれだけなので,参加申し込みだけはしました。

 

もし当選したらどうするか。記録狙いでなければ楽しむしかありません。そうなれば,もう仮装しかないでしょう。どんな仮装にするかはそのとき考えますが,何か着ぐるみでも着て走るつもりです。

指摘するところが違うでしょう

広島で土砂崩れがあって多くの方が災害に巻き込まれ,約40人もの方が亡くなって約50人の方が行方不明だそうです。

 

こういうことが起きるとマスコミはすぐに避難警報などの対応が遅いとかと行政を責め立てます。いつものことでが,指摘するところが違うでしょう。

 

空から見るとああいう場所だといったん土砂崩れが起こったら大惨事を免れないのは分かります。そして広島では表層が「真砂土(まさど)」というもので,地盤が脆弱な場所があるというではないですか。そして極めつけは15年程前にも同じような災害があったとのこと。

 

そうであれば,このような場所に家を建てて人が住むというのが無理なのではないですか。誤解しないで欲しいのは,そこに住んで被害にあった方たちを非難しているのではありません。

 

そこに家を建てる事業者,そしてそれを許容する行政にこそ問題あるということです。

 

人の命が係っていることですし,たとえ命までは失わなくてもこのような災害に遭えば生活の基盤が破壊されます。そのような危険があるのなら,そこには家とか人が寝泊まりするような施設を建てさせないよう利用を制限をすることが必要でしょう。

 

もちろん他人の土地であり財産ですから,利用を制限するのは簡単ではありません。ですが問題となっているのは人の命や生活の基盤,ごちゃごちゃ言っていないでやるしかありません。そういう対応ができなかったこと,それこそが問題なのです。

 

避難勧告がどうとかは,そういうことをやった上でのこと。それを肝心のことには突っ込まないで,表面的な対応を責め立てるばかり。

 

本当にマスコミはずれている。まあ冤罪を反省しない裁判官と同じで,所詮他人事なのでしょうか。日々,紛争という,人の災難に係っている私には到底理解できません。

反省というものがない

先日は「裁判員裁判の量刑がおかしい」,「もう止めた方が良い」,「ただ裁判官だけの裁判が良いかというとそうでもない」ということを書きましたが,その一例を。

 

8月1日付け朝日新聞の「オピニオン」欄に取り調べの録画についての周防正行氏へのインタビュー記事が掲載されていました。周防氏は,痴漢冤罪事件を描いた「それでもボクはやってない」を作った映画監督です。この記事によると周防氏は法制審議会の刑事司法制度の部会に委員として参加してたとのことです。

 

周防氏が言うには,その中で「特に裁判官の抵抗がすごかったですね。否認を貫いたため5カ月以上も勾留された村木厚子さんのケースについても,ある裁判官は 会議後,僕に『その時点では適切な判断だったと思います』と言いました。これには参りましたね。裁判官は何も反省していないということが,一番ショックでした」ということでした。。

 

そりゃあそうでしょうね。結果的にでも間違っていたにもかからず,人を5か月も身柄を拘束しておいて「適切だった」というのはどうかしていますものね。まるで他人事,真剣味というのもがまるで感じられません。責任感のかけらもありませんね。でもこれが多くの裁判官の感覚でしょう。だから冤罪や民事裁判でも誤った裁判が起こるのです。

 

ですが,どうしてこんなことが起こるのでしょう。真剣味があるかどうか,人一人の人生を真面目に考えられるかどうかですから,これは能力の問題ではありません。人格的な問題です。

 

私が思うところでは「特権意識」でしょう。エリート意識と言った方分かりやすいでしょう。間違ったト意識,感覚なのですが。こういう感覚は「勉強ができる」というところから,「自分は特別だ」という意識を持つことが原因であるように思います。

 

ですが「勉強ができる」などということは,所詮は,テストで点が取れだけのこと。足が速いとか,力が強いとか,そうしたものと本質的に変わりはありません。本当に日本で数人とかせいぜい10数人のトップレベルなら特別の価値はありますが,何百人何千人ということになるとそう大したことではないのです。

 

全く価値が無いと言っているのではありません。エリート意識を持つのは間違っているということを言っているだけです。もっと言えば,エリート意識を持っても良いのですが,それなら仕事を人よりもずっと真面目にやらないと。

 

でも不思議なことにエリート意識が強い人ほど仕事をしないようように思います。それを赤裸々に描いたのが池井戸潤氏の「半沢直樹」シリーズですね。それが事実だから共感を呼んで人気があるのでしょう。

 

悲しいですが,それが現実です。どうかしている裁判官に判定してもらうのが「裁判」です。ですから私も極力裁判を勧めません。それ以外にないからやるだけです。

 

それだけに「もっと何とかしなと」という気持ちはあります。これは人格の問題ですから,人格形成期になんとかしないと。そうなると,もう幼児教育しかありません。当たり前みたいですが「人のことを考えましょう」と。こういう職業だからかえって良く分かります。世の中シンプルなものです。

 

とにかく反省というものがない人は例外なくだめです。それは間違いありません。